壱:宗教に共通している“何か”

昔からね、宗教とかスピリチュアルな話に対して、ちょっとだけ変な見方をしてる自覚はあるのよ。いわゆる「これが正しい教えです」みたいに、ひとつを信じてそこに入っていくタイプじゃなくて、どちらかというと横に並べて眺めるタイプ。キリスト教も仏教も、スピリチュアルも民間信仰も、「全部ちょっとずつ見せて」って感じで距離を取って見てしまうの。

いろいろ並べて見ていると、違和感が消えるのよ

不思議なものでね、バラバラに見ていると全然違うものに見えるのに、ある程度まとめて見ていくと、「あれ、同じこと言ってない?」って瞬間があるのよ。霊能者が話していること、古い宗教の教え、名前もついていないような原始的な信仰、それぞれ言葉も文脈も全然違うのに、指している方向が妙に似ている。

もちろん表現は違うのよ。「神」と言ったり、「精霊」と言ったり、「エネルギー」とか「波動」とか、時代によって呼び方は変わる。でもそれって、別のものを指しているというよりは、同じものを違う層から見ているだけなんじゃないかって、私は感じるの。

名前の違いより、見ている“層”の違い

ここ、私の中で結構大事な感覚なんだけど、「どれが正しいか」じゃなくて、「どの層を見ているか」の違いなんじゃないかと思ってるのよね。昔の人はそれを神として語ったし、自然の中の精霊として感じていた。今の時代なら、それをエネルギーとか場とか、もう少し抽象的な言葉で説明しようとする。

でも本質はたぶんそこじゃなくて、「人間の外にある何か」を信じる話というよりは、「人がどう感じ取るか」の話に近いんじゃないかと思うのよ。外側にあるものを説明しているようでいて、実は内側の感覚をなぞっている、みたいな。

宗教って、本来はもっとシンプルだったんじゃないかしら

だからね、宗教って本来はもっとシンプルなものだったんじゃないかって思うのよ。何かを信じるとか、正しさを守るとか、そういうことの前に、「見えないものとどう繋がるか」っていう、とても素朴な接点だったんじゃないかって。

ただ時間が経つと、それがどんどん積み重なっていくのよね。教えを伝える人が増えて、守る人が増えて、そこにルールや形式が足されていく。そうするといつの間にか、「感じること」より「守ること」の方が前に出てきてしまう。

それ自体が悪いわけじゃないんだけど、最初にあったはずの感覚は、少しずつ奥に押し込まれていくのよね。

私が惹かれているのは、その手前の静かな部分

で、結局私はどこに惹かれているのかっていうと、その“形になる前”の部分なのよ。言葉になる前の、まだ静かな状態。名前がつく前の、ただそこにあるもの。

宗教そのものというよりは、「宗教になる前の感覚」に興味がある、って言った方が近いかもしれない。いろんな教えを見ながら、その奥にある共通の何かを探している感じ。

たぶんこれからも、どれか一つに属することはないと思う。でもその代わりに、いろんなものの中に流れている同じ気配を見つけていくんだろうな、っていう気がしているのよね。

最後に

宗教って、正しさを決めるためのものというよりは、「何かを感じるための入り口」だったのかもしれない。そう考えると、どれか一つを選ばなくてもいいし、全部を否定する必要もない。

ただ静かに見ていく中で、「あ、これ同じものかもね」って思える瞬間がある。それだけで、なんだか少しだけ世界の見え方が柔らかくなる気がするのよね。

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